きたの国から中学受験2023

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実は私もADHD

先日、娘がADHDっぽいと書きましたが…

 

私もADHDのようです。

というか娘より確実にそれっぽかったので自分が一番驚きました。

これまた病院で診断されたわけではなく、自分でそうだと思いました。

ADHDは遺伝するようなので、娘は私の特性が遺伝したのだと思うと納得です。

 

私はADHDの注意欠陥が優位型だと思われます。

昔の自分を思い出すと、昔から授業中にボーッと過ごしてばかりで小学生の半分は授業を聞いた記憶がありません。今でも覚えていますが国語の【おじさんのかさ】のテストで『うわっ授業何も聞かずにもうテストになってた。この話、一回も読んだことないや。どうしよう』と焦った記憶があります。他のテストのときもしばしばこの状況に陥りました。

小4のある日、突然テストを真面目にやろうと思い立ち、授業を真面目に聞くことにしました。それから授業を全力で受けるようになりました。ちなみに家庭学習は小学生の頃は一度もしたことがありませんでした。理由は家では気持ちが落ち着かなかったからです。私の実家は物が非常に多く、私の机にもたくさんの物が飾られていました。私は自分の机に物があると、どうしても集中できないので高学年になると、ものを捨てたくなり、母に相談しました。母は物を捨てられない人で、私が捨てたいと言うとそれを絶対に受け入れてはくれませんでした。そんなこんなで私の机には昔のなかよしの付録のシールやりかちゃん人形やら様々な物で溢れていました。

収納スペースには母自身の収納しきれないものを私の部屋に収納していたので、私の部屋は物でいっぱい。私はこれがとてもストレスでした。

また、先生が怒ることも私にはストレスで、先生を怒らせないようとても気を付けていました。友だちが先生を怒らせると、なんでそんなことするの~と、とても嫌な気持ちになりました。

絵を描くことが好きでしたが、生活音を遮断し、イヤホンで自分の好きな曲を聴きながら作業すると、とても集中できました。

プリントを整理するのが苦手でした。

中学生以降は宿題を家でやることもありましたが取り組むまでが非常に苦痛で後回しにしがちでした。後回しにすればするほど、早くやらなくては、とストレスばかり感じていました。それなのになかなか取り組むことができませんでした。だから学校の休み時間に宿題をやってしまうことが多かったです。

 

このようにADHDの注意欠陥型にだいたいあてはまることばかりでした。 大人になって自分の特性を理解して、嫌なことはすぐにやる、とか物を減らしてストレスを少なくして過ごす、とか気を付けながら過ごすようになり、だいぶ生きやすくなりました。 それでも目の前にあるものを見落としたり、ボーッとしてしまうことは今もあります。

もし、子供の頃の自分が目の前にいたらやってあげたかったことがたくさんあります。まず、 「家で勉強ができないのは、あなたが怠けているからではないよ。あなたの特性のせいだよ。一緒にまわりのものを減らそう。」   といってあげたいです。

 

今、娘はADHDのような特性がちらほら見えています。その特性を身近にいる私が理解して手助けできたら、と思っています。


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